ラグビー部の思い出1

暑い日と寒い日が交互に続く毎日です。

この様な季節の変り目は体調を崩しやすいですので、みなさんご自愛下さい。

 

 

さて、先日はラグビー部の創部40周年式典に参加しましたが、懐かしい先輩や後輩のお顔を拝見しているうちに、昔の思い出が色々と巡ってきました。

忙しい毎日の中、ラグビーに勉強(?)に一生懸命でしたが、辛かったことも大切な思い出の一ページだったと振り返れます。

 

辛い学年・・・私にとってのそれは大学3年生の実習とレポートの毎日・・・。

その学年毎に厳しさはありますが、般教課程から専門課程に進級した初めての学年である3年次は試練の学年でした。

3年次は1,2限が講義、3,4,5限が実習と言う毎日でした。実習があると次の週の実習までにレポートを提出しなければなりません。

提出までに一週間の余裕があるのですが、実習は毎日色々な科目があるため、結果的には毎日毎日違う科目のレポート提出をすることとなります。

覚えているだけでも生化学、生理学、総義歯補綴学、解剖学、薬理学、病理学(電顕)・・・。

 

各科目の最初の実習が終わった後、その日のうちにレポートを書くことを習慣とした様な優秀な学生さんは、レポートに追いつめられることはありませんが、最初の週をラグビー部の新入生勧誘のみに過ごしてしまった私は、レポート一夜漬け地獄に陥りました。

ある科目のレポートを提出しても、次のレポート提出期限が明日に迫っているため毎晩一夜漬けでレポートを書かなければならないのです。

それはラグビー部同級生の石川君も同じでした。

実習は班ごとに分れて行われます。班は50音順で決められるため、「あ」行の石川君とは同じ班となることが多かったです。

 

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因みに、いいの歯科医院に月一回矯正診療に来てくれている飯田先生は、私と学籍番号が前後だったため、すべての班が同じだっただけでなく臨床実習や登院前実習などの相互実習に至るまでほとんどペアでした。麻酔実習、採血等の臨床検査実習、問診、鍼・灸実習・・・。

飯田先生とは卒後も仕事だけでなく、趣味を通しても永くお付き合いが出来ている私は幸せに思っています。今後も大切にしたいです。

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話をもどします。ラグビー部の一週間は水・金が朝連。火・木・土が午後連。日曜が練習試合と月曜日以外休みはありませんでした。

石川君とは班とクラブが同じことから行動がほとんど同じとなり、一緒にレポートを書く事が多かったです。

特に朝連の前日はレポートを書いた後、私の家にそのまま泊り、翌朝一緒に大学へ向かっておりました。

 

そして思い出の日の前日。その夜は生理学のレポート提出の前日で、翌朝がラグビー部の朝連の日でした。

石川君が家に来て一緒にレポートを書いて、翌早朝からラグビー部の朝連に向かおうと考えておりました。

朝練は6時半からと7時からがありましたが、この日は7時からの練習でした。

 

この日の生理学実習のレポートの課題は通称「うさぎレポート」。

うさぎの血圧や心拍数、呼吸数などを色々な条件の下で測定します。

刺激を加えて血圧が上昇するのか、下降するのか。

またそ時の心拍数や呼吸数はどうなるのか・・・など。

そして結果をレポートで考察するのです。

 

「ある刺激に対して血圧が上昇したのは○○神経が興奮し、△△臓器を刺激し、そこから□□ホルモンが分泌され、それが血流によって××臓器に作用しその結果血圧が上昇したものと考えられる。」云々。

この実験は沢山の項目があるため考察も多くなり、何十枚ものレポートとなる日大松戸歯学部の名物実習です。

 

 

長くなりましたので、続きは次回に・・・。

 

 

写真は長野県菅平での合宿の一枚。下段右から3人目が私。左隣がひとし。

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