親友のお父さん

震災から一週間が経った。

東京でも計画停電が実施されたり、大規模停電が懸念されており、依然予断の許さない状態である。

さらにお米や乾電池、水、ガソリンなどが品薄となっており、このことは被災地においては致命傷となっている。

学会や同窓会からは理事を務めている立場上、様々な現況が報告される。大変な惨事である。

 

被災地の現状とは比較にならないほど東京は無事である。

にも関わらず過剰な買いだめやガソリンスタンドへの長蛇の列は、恥ずかしいを通り過ぎて情けない。

無意味な買いだめは連鎖反応を引き起こし、被災地への物資調達をより困難へと追い込む。

また、念のため給油の自粛やマイカー通勤の自粛など、まだまだ私たちに出来ることはたくさんある。

 

何処かの知事が今回の震災を「我欲が招いた天罰」と発言し、謝罪・撤回する事態があった。

この発言は決して許されるものではないし、許さない。

しかし、私たちはあまりにも自分のことばかりを優先的に考え過ぎてはいないだろうか。

計画停電や大規模停電を快諾するわけではないが、その都度私たちが何を優先させるべきかを考えるきっかけになるのでは・・・。とすら思ってしまう。

 

 

 

 

前置きが長くなってしまったが、今日のテーマは親友のお父さん。先日そのお父さんにご来院頂いた。

 

親友のお父さんに初めてお会いしたのは、私が高校を卒業する時。今から30年ほど前である。

卒業のお祝いを戴いた。

お父さんはとても大きく見えた。かっこ良かった。憧れた。

振り返ると今の私は、当時のお父さんほどの年齢になっている・・・。比べても恥ずかしほどちっぽけである。

そんな大きなお父さんから、歯科医師を志す私にお祝いのお言葉も頂戴した。

そのお言葉は今でも座右の銘のひとつとなり、大切にしている。

ただ情けないことに、当時は何を意味するのか良くわからなかったのが事実であった。

しかしその言葉は、その後の大学の授業で何人かの教授から似たようなお話を伺い、私の中では「医療人としての心得」と捉える様になった。

 

歯科医師となり臨床を始めるが、常にその言葉が私から離れることはなかった。

それは勤務医としての「ノルマ」には足かせとなったが、将来が暗中模索の若き臨床歯科医には大きな目標となっていた。

 

 

親友のお父さんを最初に診療したのは開業当初の今から12,3年前。忙しいお仕事の合間を縫って通院頂いた。

その4,5年後、歯根破折を患い再来院頂き、その対処を行った。相変わらずのご多忙であった。

 

その後お仕事を勇退はしたが、体調を崩されたと親友から伺っていた。

そんなお父さん、今回は歯冠破折にて再度ご来院頂いた。

 

待合室から私の居る診察室に入られたお父さんのお顔は、「満面の笑み」であった。過去30年間で拝見したことのないお顔である。

そして、「飯野君、また頼むよ!」とお顔をくしゃくしゃにしてご挨拶頂いた。

今回のトラブルも大きなダメージではなく、数回の診療で一段落となったが、・・・お父さんの「満面の笑み」の意味は何だろう?

<きっとただの挨拶だよ。>

<いや、「頑張れよ!」とのエールだよ。>

<「良くやってるな!」との賛辞だよ。>

 

 

 

 

答えは何でもいい。

私を見守って下さったお父さんに恩返しが出来れば・・・。

カテゴリー: 日々雑観 パーマリンク

親友のお父さん への2件のフィードバック

  1. たっちやん より のコメント:

    飯野先生のブログ時々楽しく拝読させて頂いています.先生はご多忙の毎日をお送りのようですので、健康に十分気お付けてご活躍下さい。又、いろいろ楽しいお話を聞かせてください。

  2. user のコメント:

    たっちゃんさん。コメントありがとうございます。

    本HP開設者様から、多忙な毎日の私にはブログを書くことを奨められました。

    ブログどころか日記すら書いたことのない私には自信がありませんでしたが、ここまで何とか続けられています。

    稚拙なブログですが、これからも応援宜しくお願い致します。

     

       院長

コメントは停止中です。